ジムでも岩でも。
なんだか最近グレードについて色んな話に触れるのでここは一ついま時点で僕が感じている個人的な意見を文章にしてみようと思います。
あくまでも僕ー個人の意見としてなので悪しからず。
そもそも、グレードとは何なのかってなりますよね。
これすらも解釈が色々あるかと思いますが、僕はその課題を構成する見た目、シークエンス、下地やなんやかんやの要素の中で主に難易度に焦点を当てた指標だと思ってます。
では誰にとっての指標なのでしょうか?
これは、クライマー全体にとっての指標なのだろうと思います。
仮に初登者だけのため、ないし完登者だけのためなのであればそもそもグレーディングという行為は不要な気がするのです。
というのも、初登なのか再登なのか、ソロなのか人がいるのか、リハーサルしたのかしてないのか、岩の状態や天候もですし、選んだムーブはなんなのか等々その時々の状況により感じる難しさってのはある程度の変動があるのは当然と思います。簡単に感じた人も、難しいと感じた人もきっといることでしょう。それぞれが別の感じ方をしているはずですし、そうなるともはやグレーディングの意味が薄れてしまいますよね。
では誰に対してグレードというものをつけているのか考えてみるとクライマー全体に対してではないのかなと思うわけです。
であるならばグレードというのは一般的なものであるべきだと僕は思います。
最大多数が納得できて、平均的に登った人からこう感じられてるグレードというのがつけられる方がそもそものグレーディングという行為の意味に沿うように思うんです。
つまりリグレード肯定派なのですが、これにはサンプルがそれなりに必要なんだろうと思います。
そもそも曖昧な指標ですからそれぞれの感じ方があるでしょうし、意見が出てくるからこそ簡単になるにしろ難しくなるにしろ、より平均値化されていくものだと思います。
では誰がそれを決定するのでしょうか?
グレードが変更されるもしくはされないという最終決定が初登者の独断に依存するのは僕は少し変な気がします。
何かしらの判断材料をもって検討がなされた結果なのかもしれませんが、それは初登者が確認のために再登したとかではない限り他人の経験によるものでしょうから、初登者の持つ感覚というのは自らの経験に基づいた初登時のグレードが適切ということになるのでしょうが、そうなってくるとかなり色濃く初登者の意見に寄ってしまうので、これもまたグレーディングというも行為の意味合いが薄れるような気がします。
個人的には、往々にして初登時ってのは悪く感じるものだと思ってます。
初登ってタイミングだとアリやザトウムシが悠々と登っていく様を眺めながら、そもそも人類に出来るんだろうか?って考えるところから始まるうえに、ホールドが吹っ飛ぶかもしれない恐怖もついてきたりするので精神的に全然違いますよね。かたや再登となると、まあとりあえず人類(なのかと疑いたくなる場合もありますが…)に登れるケースが確認されてる状態からスタートできるのでその点ではすでに気楽ですし。
では登ってなくともエリアのドンのような方が決めるのかっていうとそれもまた違和感がありますね。
登った人の意見ですら状況や環境次第だというのに、それを又聞きしただけで判断するのはあまりにも曖昧な要素が多すぎますよね。
僕は、グレードはどれくらいに感じましたって先駆者たちの意見を加味しつつ、登った人たちが決めていけばいいのではないかと思ってます。
例えば簡単だと言われてる、所謂お買い得課題なんて呼ばれちゃってる三段を確かに簡単だなぁ確かになんて思いながら登っておいて、SNSとかでは三段登れました!って言い張るのは正直サムいと思うんです。
自分はこう感じたというものがあるのであればそう書いておく方がいいしその意見は価値あるものだと思うんです。
その意見がたくさん出てきて最も多い意見になった頃には多分それはグレード改定されてると思います。
その意見に、つまりは個人の感覚に対してあーだこーだめんどくさい事言ってくるやつは関わると面倒なタイプだと思うのでほっといていいです。
トポに書いてあるからそれが正しいだろ論者の世界線ではそもそもリグレードなんて起こるはずがないので、絶対的な情報源であるそのトポだけ見て登っててください。
甘くても辛くても、あなたの感覚はどうでも良くて絶対トポが正しいのですから。
俺はそれを○段だと思ってやってきたんだ論者は辛い方でも甘い方でもグレードに拘り過ぎではないでしょうか?
その課題を目指した時、グレードがそれだから登りたいと思ったのでしょうか?
登れたことにはかわりはないし、それが何段でもその時の頑張りはそれを登るだけの意味を持ったはずです。
もちろんグレードも要素ですし拘ってそれを追う楽しみ方もあると思います。しかし、そうであるならばなおさらそこに対してシビアであるべきなのではないでしょうか?
スタイルが違うとどうなるんだ?って疑問は尤もだと思います。
これもまた個人の意見なのですが他人にスタイルを強要することはできませんよね。普通に危ないし。
そうなると初登がノーマットで為され、四段とされたラインだとしてもおそらく最大多数はマットを敷いてやるわけです。
もちろん初登者の感覚より簡単に感じますよね?
仮に三段と感じたとしてこれは初登者を尊重するため初登時のグレードを据え置くべきでしょうか?
僕は改定するべきだと思います。
なぜなら、初登者のスタイルをもって四段となされたものにマット敷いて再登して四段だっていうほうが冒涜的な気がするからです。
では、最大多数の意見に沿うべきでしょう。
この文章はこっちを読んでから読み進めて頂きたいのですが仮にグレードダウンしたとしても、スタイルが優れている事はそれだけで価値があるし差異があることだと思うからです。
最後にこれは僕がいつも読ませて頂いてるブログからの引用なのですが
"初段といたします
〇〇さんも続いて完登
〇〇さんは1級って言ってた
どっちも正解
それでええやんてことにしないからグレードってやつはややこしくなる
どんなグレードが付いてても岩自体の形状が変わるわけでもないし
自分が達成したクライミングの価値も不変なわけで"
まさにこのように感じます。
別に、いくつでもいいんです感じたように言えば。
それがいつかそれっぽい答えの為に役立つから。
さてここまで主に岩について述べてきましたが、ジムにもありますよねだいたい適正かなってグレードより明らかに甘いジム。
辛い方はそこがちょっと辛いってことさえ知ってれば、ジムの外に出て困ること特にないからまあ別にいいと思うんです。
下からやってくでしょうから、適切なところで落ちたりして適切なグレードで遊ぶでしょうし。
ただ適正であろうジムより2つも3つも離れて著しく甘いのは問題な気はします。
だいたいどこも全部で10分割くらいだと思いますが、それが適正と3つも(辛いとことだと4つとか!)離れてるとそもそもグレードというシステムが機能してないって時点でジムとしては既にある程度問題なんですが、他ジムであれ岩であれジムの外に行ったとき、初段なんて実力的にまだ登れないのに甘いジムでやってたら出来るものとして取り付きますよね。
普通に怪我です。
そうでなくてもあのジムは辛いだグレードがおかしいだと文句を言われたり、お買い得課題登って適正に感じてるが故、本人は意図せずサムいやつと思われてしまったり。。。
それがわかってて、その方が登れて気持ちいいからとかその方が集客がいいって意見とはもう根本的に合わないので、そ、そうですかー…といった感じですが、はてさてそんなこと初心者のうちはわかりませんよね。
肌感ですが半分以上のジムが適正らしいグレードより簡単な気がしてます。
つまり単純計算半分以上の初心者が甘いグレーディングを適正と感じているわけですね。
そうなると、そもそも感覚的で何なら僕の意見では最大多数が納得することを目指すべきなグレードってもの自体が、全体的にズレてきちゃったりしますよね。
もはやシステムの崩壊ですね。
例えば、一級が登れたら嬉しいです。
でもそれはそれ登るのに苦労したからで、その苦労をした人だけが登れるからです。
難しい課題登れる人が少ないのは当たり前のことで、それが目標だったはずなのにゴールポストをジムが客を喜ばすために動かしてどーすんねんとは思います。
それに喜んで群がる客側もまたサムいなぁとは思いますが簡単な課題のほうがウケるのであれば、簡単な課題の本数を増やせばいいわけで何もグレードをイジる必要なんか無い気はします。
まあクライミングジムなのであればクライミング業界の一般的なグレードには近づける努力はあって然るべきな気はしますよね。
飲み屋にあるダーツ台ですら立ち位置が示してあるんですから。
ま、どっちも僕がこんなクソ長い文章を書いたところで大して読まれるわけでもないのでしょうが、今のところ僕はこう思ってますって話でした。
全部読んでくれたあなたには最後にこちらで癒やしを。
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