スタイルってなんか難しい話ですよね。
Twitterでちょっと触れたら割と聞かれたりしたので長くなりそうだしブログに書いてみるかって思ってしたためてます。
あくまで主観的な意見なので念頭に置いて読み進めてくださいね。
まず、僕のスタンスとしては
"ノーマットやめれ"ではなく"ノーマット推奨すんのやめれ"
です。
もちろん、ノーマットはすごい事ですよね。
そんなの当たり前にクライミングやってたらわかります。
ただそれをパブリックにこれがベストで素晴らしい事だって推奨していくのはちょっとどうなのかってところでして。
まあここまではTwitterで触れましたね。
さて、じゃあなんで誰もがわかる凄い事をそうあるべきと推奨しないでおこうよって論調なのかというとそりれもまたわかりやすい話で、死ぬから、怪我するからです。
このご時世そうなったときに計り知れない迷惑が多方面にかかるのは容易に想像つきますよね。
あれは良い子は真似しないでねって注釈がつくような行為であって(外でのクライミングってのがそもそもそうなのかもしれませんが)すごいよねみんなもやってみよう!というノリではないと思うんです。
それも文化だという意見の方もおられることでしょう。
しかし例えば〇〇で事故が起きたとして、それがニュースになり、なんて危険なスポーツなんだ!禁止してしまえってなればそこにあった課題やエリアに関するあらゆる歴史や文化は潰えますよね?
もちろん文化や歴史、偉大な功績は口伝とか、書籍とかで伝えていく必要はあると思いますがそれと同時に危険な行為であり気軽にやるべきことではないという事も知らしめるべきではないかと思うのです。
そして、殊更にそれを美しく表現せずともある程度成熟したレベルのクライマーがそこに目を向け挑戦してゆく行為はきっと否定しようが肯定しようが続いていくものだと思います。
であるならば美しいスタイルと称賛されるからとりあえず盲目的にマットなしでやるぜってよりもきっとそこにあるリスクを加味して考え、更に"それをコントロール出来ると考えうるだけのバックグラウンドをもって"トライするという過程こそがきっと重要な気がするのです。
だからといって、じゃあ安全第一だから忍者岩みたくジムよろしく敷き詰めるのはまたいかがなものかと思いますがね?
怖くて出せない一手を今の実力と断念して出せるようになるまで練習してからまた行ったら出来たってのと、怖いからマットたくさん敷いてドカ落ちしてももう大丈夫で出したらたまたま出来たってのは全然違う一手ですしね。
まあそもそもクライミングなんてのは自己満足の世界の話であってなんだかんだ言っても各々で追求するしかないのですが追求することにきっと意味があるので興味が向いたらコントロールできる範囲で追求してみたらいかがでしょうか?
さてさて、もう一つ突っ込んどくと文中の"ある程度成熟したレベルのクライマー"ってどんなだって話ですがそれはつまり強い人です。
強い人はいいんですよ、だって強いから。彼らはいろんなことをコントロールできるから強いんです。
そしてまさに彼らが文化を継承していく人達なのですから。
僕は強い人めっちゃ尊敬してます、だって強いから。
3段だ4段だ5段だってのをバカスカ登るような人はそれができるからこそノーマットにも挑めるのです。
つまり何が言いたいかというと僕らみたいな十分に強くない人がノーマットやるときはその危険性を十二分に理解しておこうねって事です。
あとチッピングはすんなそんな奴はクライミングやめろ!!